JYJのこと
wikipebiaから
もともと5人組アイドルグループ東方神起のメンバーとして活動していたキム・ジェジュン、パク・ユチョン、キム・ジュンスの3人は、2009年半ばから所属先のSMエンターテインメントと専属契約をめぐり対立するようにな、同年10月に韓国の裁判所から3人の芸能活動の自由を認め、その妨害の禁止をSMエンターテインメントに命じる仮処分決定を得る、即SMエンターテインメントを離れ、同年11月から3人での活動を開始させた。その後、3人は韓国の新設会社「シージェス・エンターテインメント」(C-JeSエンターテインメント)と契約を結んで足元を固め、続いてそのシージェス・エンターテインメントが当時東方神起日本の所属先となっていたエイベックスに日本での3人の専属権を与えて、日本での活動拠点も確保した。 そして、「東方神起の新ユニット」という形で「JUNSU/JEJUNG/YUCHUN」という仮の名のグループを結成した3人は、東方神起が正式に活動を休止した2010年4月にその旨をエイベックスを通じて発表し、まず日本から本格的な活動を開始した[。
日本での活動休止3人は仮称のまま活動を続け、エイベックスによるマネジメントの下、2010年6月には大阪ドームと東京ドームTHANKSGIVING LIVE IN DOME」を開催して、日本で相変わらず東方神起時代と同様の動員力を持っていることを示した。しかし、表面上蜜月であった3人とエイベックスとの関係はすでにこの頃、俳優のクォン・サンウに不公平な覚書締結を強要し
た罪で服役していたという素性が表沙汰になった。シージェス・エンターテインメントの代表者の扱いをめぐり、早くも冷却化へと向かっていたそんな中、3人は同年6月下旬に渡米し、アジア各国でリリースする英語詞アルバムのレコーディングに取り掛かった。かねてから3人が希望していたカニエ・ウエスやロドニー・ジャーキンス(英語)とのコラボレーションに成功し、その結果、ユチョンが「音楽を共に作り上げるといった感じで、よりレベルの高い音楽ができた」と自負するほどの作品に仕上がった。
その後、3人はワーナー・ミュージックの韓国法人と配給契約を結び[またそれまで法律事務所が引き受けていた広報を同国の広告代理店プレインに委託するなど、着々と韓国での本格的活動のための準備を進行。その一方で、同年8月にはそれまで東方神起の一員として参加していた日本の音楽フェスティバル「a-nati」に出演し、エイベックスからの仕事もこなした。しかし、そのエイベックスはミニアルバム『The...』をリリースした直後の同年9月16日、シージェス・エンターテインメントの代表者の経歴などを理由に3人に対するマネジメントの停止とグループの活動休止を突如発表した。3人側はその経歴を口実にエイベックス側から不利な条件での再契約を求められていたと主張し、活動休止は一方的と反論したものの、これにより3人は日本での活動を一旦絶たれることとなった。
「JYJ」誕生 』
それから約2週間後の同年9月29日、3人はそれぞれの名前の頭文字をつなげた「JYJ」というグループ名で世界デビューすることを発表]。これに伴い、『ザ・ビギニング』と名付けられた英語詞アルバムはアジアだけでなく、ワーナー・ブラザーズ・レコードを通じて米国でもリリースされることになった。同作には自作曲も収録されていたが、メンバーらはそれらに固執するつもりはなく、リード曲にはカニエが手掛けた「エー・ガール」(Ayyy Girl) が選ばれた
このアルバムは同年10月に韓国でリリースされに3人はプロモーションのためにアジアや米国各地を回る有料ライブ・ツアー「JYJワールドワイド・ショーケース」を韓国ソウルからスタートさせた韓国ではリリース前、まだ3人の専属権を持つと主張するSMエンターテインメントから発売差し止めの仮処分が申し立てられ、またJYJを前例とした強行移籍の続発を阻止したい業界団体の韓国大衆文化芸術産業総連合からも「二重契約」を理由にJYJのテレビ出演や楽曲配信を見合わせるよう各事業者に要請が出されるなど、邪魔が次々と入ったが、要請を受け入れる事業者は現れず、仮処分もリリース直後に取り下げられたため、支障なく販売された結局、同アルバムはリリースの前後に放送されたKBSドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』への主演により急上昇したユチョン人気にも支えられて、韓国で同年末までに3形態合わせて、レコード会社による集計を元にしたガオンチャートで約29万枚、小売店での売上を元にしたハントチャートで約13万枚の売上を記録した。
『ザ・ビギニング』は韓国に続き、米国でもまず同年11月からデジタル配信された。3人はこれに合わせて『ビルボード』誌に記事広告を出稿して、同誌の広告用表紙を飾るなどのプロモーションを展開したのち、同国でのショーケース・ツアーに突入。だが直前に、米国政府から公演に必要な芸能ビザ(P-1ビザ)の発給を拒否され、最初のハワイ公演が中止に追い込まれた。そのため、3人は急きょ米国での残り3公演を無料公演に切り替え、どうにかツアーを完遂した、この一件はのちに、同興行権を持つ投資勧誘者やシージェス・エンターテインメント代表らがツアーの投資者から詐欺容疑で刑事告訴されるなど尾を引いた。
韓国地上波番組出演
米国でのツアーを終えて韓国に戻った3人は、同月にスタジアム・ライブ「JYJワールドワイド・コンサート・イン・ソウル」を蚕室総合運動場主競技場にて2日間連続で開催し、予定の10万人には及ばなかったが、両日合わせて約7万人を動員した。
ただ、このような活躍の中にあっても、各テレビ局の芸能局が元所属事務所側の機嫌を損ねぬよう、自局が担当する音楽番組やバラエティ番組へのJYJの出演を控える傾向はデビュー以来続いていた。それでも、ユチョンが主演したドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』のサウンドトラックに参加していた縁で、KBSのドラマ局が制作する『KBS演技大賞』に3人揃って出演できることになり、2010年12月、ようやく初めて韓国の地上波放送に出演して歌を披露することが叶った。
年が明けて、2011年1月には韓国語詞の自作曲を収録したミニ・アルバム付きエッセイ集『ゼア・ルームス ウリ・イヤギ』をリリース。同作には、東方神起時代に経験した日本での長期生活を「監禁」と表現するなど前所属事務所への批判を連ねたユチョン作詞の曲が収録されていて、話題を呼んだ。
日本での活動再開次に、JYJはジェジュンが総合演出を務める世界ツアー「ワールド・ツアー・コンサート2011」を企画し、2011年4月のタイ・バンコク公演から約2か月に渡る旅路をスタートさせた。このツアーには同年初頭の段階に日本公演も予定に組み込まれていたが、エイベックスが公演実施の撤回を要求。同年2月にはシージェス・エンターテインメントがエイベックスに対してマネジメント業務の不履行を理由にJYJの専属契約の解除を通知したが、それでもエイベックスが解除を承諾せず抗議を続けていたため、ツアーの概要を発表する同年2月末になっても日本公演の実施を確定できずにいた。
しかし、その直後の同年3月、日本で東日本大震災が発生したことから、JYJは日本公演を同震災の被災者支援のためのチャリティー・イベントと銘打って強行することを決め、まず同震災の支援金として6億ウォンを福音派慈善団体ワールドビジョン(英語)に寄付することや継続的な支援を表明した上で、翌4月に同公演の開催を正式に発表した。そして、シージェス・エンターテインメント側はこれを好機としてJYJの日本での活動を再開させる意向を示した
。
それでも、エイベックス側が同公演は営利目的であり自社が未だ保有する3人の独占的マネジメント権の侵害だと主張したため、第三セクターが運営する横浜アリーナやさいたまスーパーアリーナから施設利用を断られて会場が本決まりせず、シージェス・エンターテインメントがコンサート・プロモーターとともにエイベックスの「妨害工作」を禁止するよう仮処分を申し立てる事態にまで至った。これに日本の一部ファンまでも参戦して、日本での活動休止理由の矛盾点を突いた上でJYJとの契約解消を求める要望書をエイベックスに送付したり、エイベックス側の行為は不公正な取引方法に該当するとして同国の公正取引委員会に申告したりしてJYJへの支援を行った]。最終的に日本相撲協会が両国国技館の貸し出しに応じたことから、同年6月、JYJは日本公演を無事開催し同国での活動再開を果たしたが、シージェス・エンターテインメントはここで万事解決とせずに、エイベックス側の「妨害」行為の禁止を求めて正式に提訴することを表明し、双方の確執は本格的に法廷へと持ち込まれることになった。
巨大企画会社との戦い
JYJは放送活動に制約を受けているが、それは「KBSとの対立」という表面的な問題ではなく、韓国芸能界に君臨する巨大企画会社との死活をかけた戦いとみるべき。韓国では地上波TV局はKBS,SBS,MBCの3局のみで、実際、制約を受けているのは国営TV局であるKBSからだけではない。民間のSBSもMBCも歌謡番組には出演できていない。過日、中止されたリアリティ番組は韓国のQTVというケーブルTV局だ。 JYJはマネジメントや広報など各業務をそれぞれ専門企業に委託している。つまり、従来のように、芸能人が事務所から収益の配分を受けるのではなく、JYJが各社の業務に対して対価を支払っているということになる。これまで、企画会社に所属して会社の意のままに動かされていた芸能人が、自ら会社を雇って企画・運営・広報を行い、販売していくことが成功し、芸能界に波及すれば、既存の大手企画会社にとっては大きな脅威となる[強者であるSMが、弱者JYJをとことん追い詰め、潰しにかかるのは、他の芸能人に対する見せしめであるだけでなく、韓国芸能界の既存の力関係が壊れるのを恐れるためだと言われている。
JYJは2011年2月、韓国でシージェス・エンターテインメントとの専属契約は二重契約でないとの仮処分決定に加え、2010年10月の仮処分命令に基づく間接強制の決定も勝ち取り、芸能活動の障害を取り除くための司法判断を粗方揃えることに成功していた[。しかし、ユチョンが主演ドラマの宣伝を目的としたトーク番組への出演を断られたりあったリアリティ番組の放送が取り消しになったりと、報道とドラマ以外には出演させないという各放送局の態度は相変わらずであった[
JYJ側がこれらに表立って反応することはなかったが、同年5月にKBSの芸能局が『ミュージックバンク』』などにJYJが出演しない理由を尋ねる視聴者からの質問に「JYJは判決が確定しておらず二重契約状態のため」と公式サイト上で回答したこと]に対しては、契約問題は法的に解決しているとしてKBSに是正を求めた[68]。回答の2日後、KBSは「同年2月の司法判断後にJYJがアルバムを出していないだけであり、新作を発表すれば専権を持つ番組側が出演を判断する」という公式見解を出しンターテインメントは「新作発表時『ミュージックバンク』に出演できることを望む」と応じてひとまず矛を収めた が、KBSとの対立はこれで終わらなかった。JYJは2011年5月に済州特別自治道から済州島が新世界七不思議自然版に選出されるよう投票を促すための広報大使に選ばれ、その活動の一環として同年7月放送の関連テレビ番組に出演することが決まっ任命式も行われる予定であったが、番組を制作するKBSの済州放送総局チェチェジュトウが生放送4日前にJYJの出演をキャンセル、代わりに元所属事務所の後輩歌手を出演させた。これに韓国内外のJYJファンが憤怒し、KBSのみならず済州道庁まで非難の矢面に立たされた。シージェス・エンターテインメントもこれ以上対応に躊躇するのはJYJにとって無益として方針を転換、この件を韓国の公正取引委員会に申告して、公営放送局であるKBS済州への是正措置を求める事態となった。
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JYJ名義アルバム
ザ・ビギニング -
The Beginning (2010年)
ゼア・ルームス ウリ・イヤギ(JYJミュージック・エッセイ) - Their Rooms 우리 이야기 JYJ Music Essay (2011年、ISBN 978-89-5913-610-0)
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